coup de théâtre

早川聖来ちゃんがすきです

僕のこと、知ってる?

 

あなたに知ってほしいことがたくさんありました。

 
4期生でいるときの、キラキラでポップな空気感に、どれだけ胸を躍らせたか、知っていますか。

かきまゆせーらの3人でいるときの無敵さをどれだけ頼もしく思っていたか、知っていますか。

あなたがあまりにも楽しそうに「世界大会だよーーー!!」と叫びながらモルックをするものだから、こっちまでモルックを始めたこと、知っていますか。

コントでどこまでも欲しがりなあなたの姿に、いじらしさを感じてしまったのを、知っていますか。

ミーグリであなたから貰った言葉をどんなに大切に心の中にしまっていたか、知っていますか。

イノフェスでの司会のあなたの質問に、その背景に滲み出るとんでもない努力を垣間見て、敵わないな、って思って、それからずっと尊敬しているのを、知っていますか。

あなたのことをもっと深く知りたくて、バレエを観るようになったのを、知っていますか。

4期生の集合写真をいつも撮っておいてくれることをどれだけ4期のファンとしてありがたく思っていたか、知っていますか。

スマホを落としただけなのに』での会場全体を自分の間合いに入れてしまうようなあなたの圧倒的な演技にどれだけ鳥肌がたったのか、知っていますか。

初めての選抜、「やり直そうと 言われたら」の歌割りが嬉しくて、どんな歌番組も見逃さないように全部ぜんぶ録画したのを、知っていますか。

日産スタジアムの大きな会場でも、防振双眼鏡であなたを追いかけ続けて、あまりにもあなたの出番が多いものだから筋肉痛になったのを、知っていますか。

CROSS ROAD』であなたの演じる「アーシャ」が役名そのままにこちらにとって“希望”だったのを知っていますか。

あなたのしなやかなダンスに、透き通った歌声に、どれだけ目を奪われ、耳を傾けたか、知っていますか。

あなたが休業を始めたとき、どれだけ心配で、身も心も焼かれているように落ち着かなかったのを、知っていますか。

休業している間も1週間に1度くらいのペースでモバメをくれて、そこに写っているのと同じものを食べたり、同じことをして、それが宿題を出されているみたいで、楽しくて、どんなにこちらが救われたか、知っていますか。

あなたのいない乃木坂を見るのが苦しくて、あなたのいない表題曲も、あなたのいない期別曲も、MVを見れなかったって、知っていますか。

神宮での全ツ千秋楽、そこにいなかったあなたがその日の夜にトークで送ってくれた「ひと夏の長さより…」の弾き語りにどれだけ心を動かされたか、知っていますか。

復帰してくれたらじらーの冒頭、電波に乗せてあなたの声が流れてきたときにどれだけ泣いたか、知っていますか。

復帰後初めてのステージだった2回目のイノフェスで、人前に立つことをもう一度選んでくれてこちらがどれだけ嬉しかったか、知っていますか。

5期生に対してあまりにも優しく接するあなたを参考にして、こっちも後輩にちょっとだけ優しくしようと心がけるようになったのを、知っていますか。

11thバスラ4期生ライブで、「ここにいる理由」のセンターとしてステージに立つあなたを見てどれだけ青×青のサイリウムを振ったか、知っていますか。

朗読劇の劇中劇における、目の前の人との距離感や関係性をふとしたしぐさや目線で表現するあなたの細やかな演技を目の当たりにして、あなたの演技をもっともっと見たいって思ったのを、知っていますか。

あなたのその正義感に、こちらがどれだけ勇気をもらったか、知っていますか。

卒業発表のあの日、どれだけ天井を見つめてボーっとしていたか、知っていますか。

初めてのリアルミーグリで、あなたに会うために、伝えたいことを伝えるために、何度も何度も練習して、どれだけ涙を堪えていたか、知っていますか。

あなたの卒セレのチケットがどうしても取れなくて会場に入れなかった時の悔しさを、知っていますか。

最後のミーグリであなたに呪いをかけてほしくてお願いして言ってもらった「〇〇、幸せになってね」って言葉を、今でも全然忘れられてないって、知っていますか。

最後に写真集を残してくれて、どれだけこの1冊を大事に思っているか、知っていますか。

どうしても卒セレの映像が見れなくて、信頼できる友達たちにお願いして、一緒に見てもらったのを、知っていますか。

いつだって『Out of the blue』のイントロは幸せのかたちをしていて、4期生のポップでキラキラな空気感はあの閉塞感で満ちた時代における救いで、あなたの言葉は心の深いところに染み込んで、知らなかった感情を教えてくれて、世界を広げてくれて、どれだけこちらが幸せになったか、知っていますか。
 

 

 
たくさんの貰った感情を、行動を、感謝を、賛辞を、想いを、知ってほしくて。
 
ミーグリで必死に紡いだ言葉や、感情のままに筆を走らせたファンレター、美味しいものを食べるたびになんだか写真を送りたくなってしまったレター、ライブ会場へ贈ったお花、会場で必死に振った青×青のサイリウム、全てを見逃すまいと握りしめた双眼鏡、ライブの度に持っていったねこぱんちうちわ、このBlogで書きなぐった言葉たち。
 
 
そして、どうしたってあなたにそれを知ってもらえない環境になってもう1年が経ちました。
でもね、今は、今はもう、全部知らなくていいんです。
 
ただの押しつけかもしれない応援とか、こうなってほしいという期待とか、また会いたいという身勝手な欲望とか、そういうのを掬い取って、向き合って、背負ってくれる人だったから好きになったし、言葉を届けたいと思ったし、ついていきたいと思ったのは確かで、その上で、あなたは掛け値なしに“いいもの”で、そんなあなたを応援しているだけで自分まで“いいもの”になった気がしました。
 
わたしたちファンが背負わせていたかもしれない期待とか想いとか正義とか、そんなものから自由になって、身軽に、軽やかに、幸せにいてくれたらいいな、
それで、そんなこの祈りにも似た勝手な願いすら届かないといいな。
 
 

ゴドーを待ちながら』よろしく、『サムのこと』の最後のセリフを引用して、このよくわからない亡霊の書きなぐりを閉じたいと思います。

 

サムの死は急激で、私たちは思わず色んなことを思い出しました。
それでも拍子抜けするぐらい淡々と、私たちの日常は続きます。
 
誰が死んでも、何が起こっても、日常はいつもぼーっとそこに横たわっていて、知れば悲しくなるほど無責任で、残酷で、途方もなく、優しい。
 
なんていうか、私たちはだからこそ、生きていける。
サムは短いその生涯を終え、私たちの前には長い道がある。
 
その現実に少し涙ぐみそうになるけど、変わらない、馬鹿みたいな、いつも通りの日常がそこにある限り、私たちは大丈夫だ。

 

誕生日、おめでとうございます。

健やかで幸せな日々が続いていますように。